2023年09月01日
カテゴリ:荒井明夫ブログ
2023年08月30日
23年度後期の開始を目前にして、前期の講義を振り返ってみます。今年度の前期講義は、「教育史1」と「教育学概論1」を2コマ担当しました。「ゼミ」と「基礎演習2」もありましたが、ここでは講義科目に絞ります。「教育史1」は教育学科(一部他学科生含む)の3・4年生中心に70名、必修の「教育学概論1」は教育学科1年生全員を中心に、再履修生若干名を含めて2コマ合計150名程度でした。
「教育史1」では近世社会における教育機関(藩校・寺子屋等)や民衆の読み書き能力等について講義し、明治以降の近代市民社会形成を目指す教育と、天皇制公教育への変質を、地域や学校設立・就学を入れながら講義しました。毎回学生諸君にはリアクションペーパを書いてもらっています。これがとても面白く勉強になります。1872年の「学制」を講義した際には「いまだに『学制序文』が誰の手になるのかがわからない」ことに驚きがありました。
「教育学概論1」ですが、実は久しぶりの担当でした(2020年にオンラインで担当)。対面型では、5年ぶりになります。講義の構想段階で悩んだ挙げ句、「1年生が中心なので、現実の日本の教育で起こっている問題を積極的に採り上げそれを教育学的に解説する」という方式を採用しました。教育のもつ問題のむずかしさと、それにも関わらず、学生諸君が教育(学)へ関心をもち続け、今後の教育学勉強に役立ててほしいと思うからです。親子関係・虐待・いじめ問題・貧困問題・発達障がい・子どもの権利、等々の問題を、時にはビデオで、時には新聞記事で解説してきました。その時々に私の勉強の量も相当でした。終えた今、寂しさとホッとした安心感に浸っています。
毎回のリアクションペーパですが、これがとても学生諸君の成長を感じさせるものでした。講義の初期には「自分が教師になったら・・」という記述が目立ち、とても安易に「教師や個人の努力で問題が解決できる」としていたスタンスも、次第に「個人の努力だけではなく、社会の仕組み・社会の変革に繋がる個人の努力」という視点に変わって言ったように思います。例えば「貧困問題」などでは、「政府による予算配分(防衛費の倍増計画)の見直しを鋭く迫る」意見もありました。
私が担当する「教育学概論」は「1」だけですので、1年生諸君とはこれでお別れです。2年時は講義を担当しませんので私が定年を迎える最終年度(まで無事私が務めれば)に3年生としてお会いすることになります。そのことを伝えた7月の最終回の講義で、学生諸君から拍手を頂戴したことは忘れられない思い出となりました。今年度9月以降の後期は「ゼミ」と「基礎演習2」だけになりますが、頑張りたいと決意を新たにしています。
2023年08月18日
既に報告したように、3本の論文を終え、私にとっては2冊目の単著となる著書の出版社に渡す原稿も終え、今年度前期の成績も無事終えて、今は夏休みをエンジョイしている。その解放感の中で、今後の研究と研究研究課題について考えてみた。
出版社に渡す原稿を推敲している中で、今後の課題を考え続けてきた。最低二つの課題がある。
第一は、森文政とその歴史的意義に関する研究である。既に一定の蓄積をもつ森有礼個人と森文政に関する研究であるが、私は私の視点からアプローチしたいと考える。「諸学校通則」第一条適用に関する中学校・高等中学校研究を終えた今、森文政をどのように評価できるかという点である。これまで収集した史料を軸にして、かつ当然ながら森個人研究まで視野を広げながら、森文政研究に挑戦したい。
第二は、中等教育が提供してきた教養論に関する研究である。私は、ゼミ生諸君と永年、『きけわだつみの声』を読み、分析してきた。その中で『きけわだつみの声』の登場者たち・戦没学徒兵たちの手記にある軍隊批判に特に注目してきた。「かれらは何故軍隊批判ができたのか」・「その教養の根の部分にあるのは何か」・「当時の学校教育が提供してきた教養とは何か」を考え続けてきた。しかし、なかなか回答が得られない。視点を変える必要があるかもしれない。そう思ったのは次の加藤周一氏の指摘である。
加藤は戦争直後の1948年に書いた論文「きけわだつみのこえ」において「軍隊に対する批判は、みつけられれば殺される環境で、書かれたにも拘わらず、十分に手厳しいし、之ほどはっきりと批判することのできなかった大部分の兵隊の心の底にも同じ気持ちが動いていたということを忘れてはならないだろう。しかし、戦争に対する批判は、必ずしもきびしくはなかったということも忘れてはならない。」と述べている。
さらに続けて「日本の学生達が死地に赴いたのは、勿論強制されたからであるが、単に聖戦というような空虚な標語が彼らを動したのではなく、倫理的な力が彼らを動かしたのだとおもう。勇気、自己犠牲、克己の精神(中略)よく戦った兵士は、りっぱな人間であった。しかし、そのようなりっぱさ、個人的、倫理的な精神のつよさは、戦争という社会的な現象の本質をみきわめるためには役立なかったのである。戦争はりっぱな青年から先に殺す、戦争挑発者は美徳を動員する。」と指摘する(加藤周一「きけわだつみのこえ」東大協同組合出版部『わだつみのこえに応える日本の良心』1950年、pp85~86)。この加藤の指摘は、戦没学徒兵の教養分析について、重要な視点を提供している。それはすなわち、「勇気、自己犠牲、克己の精神」という「倫理的な力」が、近代日本において、なぜ、どのようにして彼らを動かしえたのかという視点である。これについては、重要な研究の視点・今後の課題となる。
私がこの第二の問題に拘りたいと思うのは、課題の現実性(アクチュアリティ)である。現代の日本は確実に「新たな戦前」の時代を迎えていると私は思う。その時代にあって、戦争へと突入してしまった戦前日本において、「軍隊批判」に留まり「戦争批判」に辿り付けなかった教養とは何かを厳しく検証する必要がある。そして今の時代の教養のあり方について再度考えてみたいのである。
2023年07月30日
大変ご無沙汰しております。酷暑の夏ですが、いかがお過ごしでしょうか。お蔭様をもちまして、小生も家族も元気で過ごしております。漸く、このHPに記入できるような「余裕」が出来ましたので御報告させて頂きます。既に、本HPの「研究活動」欄にて御報告したとおり、昨年から今年にかけて、3本の論文を執筆してきました。昨年の夏からかかりほぼ半年をかけてまとめました。それが活字になりましので御報告します。私の前著では、諸学校通則第一条に基づく「府県管理中学校」を研究対象とした博士論文でしたが、その中では、本来その対象として文部大臣管理の高等中学校という学校(鹿児島と山口にある)を対象とすべきでした。しかし「県管理」ではなく文部大臣管理であることと、「中学校」ではなく高等中学校であること、から対象を外しました。1996年頃から両校を研究対象の視野に入れ調査を始めました。対象は先ず山口にしました(写真上の右論文)。その調査を継続し、そろそろ論文としてまとめようとした時、山口高等中学校設立母胎である「防長教育会」の基礎資料を網羅する『忠愛公伝』なる史料と出会い、さらに『私立防長教育会関係山口高等中学校一件』なる基礎史料群と出会いしました。「これを分析し駆使しないでの論文化はありえない」と判断し、更に時間を要しました。幸い、2014年度には勤務先の大学から一年間の国内留学制度を受け、時間ができました。ここで、鹿児島の調査と論文化、山口の史料分析をすすめました。こうして鹿児島と山口の集中した論文化が進んだわけです。
この年度には鹿児島調査は勿論、もう一つ気になっていた徴兵令認定中学校の分析に着手し、まとまった史料の期待できる長崎県立大村高等学校(前身は大村中学校)の史料調査に入りました。その後時間のある時に分析をすすめ論文化に至ったわけです。現在、この3本の論文を含むこれまでの研究成果をまとめて一冊の著書にすべくまとめに入っています。近く刊行できましたら再度御案内させて頂きます。著書のまとめもできました。出版社と相談して『明治前期の国家と地域教育』と題して著書にします(表紙は写真下)。
長い時間がかかりましたが、この時間は必要だったと思っています。学会や研究会の代表を務め、勤務先では学科主任や学部長・ラグビー部部長の要職を務めてきましたが、この忙しさの中では時間が必要でした。近年、学問研究の速効性が声高く言われていますが、私は反対です。時間をかけてもしっかりした分析に基づく研究が必要だと実感しているからです。
2023年03月05日
2022年4月から2023年3月までの、一年間の研究活動報告です。なんとか恥ずかしく無い報告ができます。
(1)以下の3本の論文をまとめました。
①9月締切りの『大東文化大学紀要』に「防長教育会の歴史的性格に関する一考察」と題する論文をまとめました。2023年3月刊行となります。
②2023年1月締切りの『中等教育史研究』に「文部大臣管理山口高等中学校の『管理』をめぐる一考察」をまとめました。2023年5月刊行となります。
※上記の2論文は、20年以上の年月をかけての論文となりました。
③2023年2月締切りの『地方教育史研究』に「私立尋常大村中学校の設立と性格に関する一考察─徴兵令認定中学校の性格に関する一断面─」をまとめました。2023年5月刊行になります。
※この論文の執筆にあたって、最初に対象校の現在校である大村高等学校に調査に入ったのは8年前でした。
(2)史料調査旅行報告。
①4月14日から16日までと8月17日から19日まで。山口県立図書館・文書館調査。上記論文①②に結実した史料の最終調査でした。
②5月31日から6月3日までと2023年2月1日から3日まで。長崎県立図書館・文書館調査。上記論文③に結実した史料の調査です。
③6月30日から7月1日まで。長野県文書館での史料調査と満蒙開拓義勇軍の展示をみてきました。
④10月20日から22日まで。奈良県立図書情報館での史料調査。私の本を読んで下さった方から吉野尋常中学校に関する貴重な情報を提供して頂きました。その情報を得ての調査です。
⑤2023年3月2日から4日まで。香川県立図書館での史料調査。
(3)学会活動。
①9月の教育史学会大会から『日本の教育史学』第66集編集委員長を仰せつかり、現在慎重に投稿論文審査をすすめています。
②5月20日に北海道・札幌で開催された中等教育史研究会と、続く21日・22日にこれも札幌市内で開催された全国地方教育史学会大会に参加してきました。
③9月24日開催の教育史学会大会(於・埼玉大学主催・ズーム)に参加しました。
④11月5日開催の中等教育史研究会(於・大東文化会館)に参加しました。
⑤9月5日と2月5日に開催された就学史研究会に参加しました。
以上が2022年度の研究報告となります。
2023年01月21日
カテゴリ:荒井明夫ブログ
2022年08月06日
カテゴリ:荒井明夫ブログ
2022年05月03日
最近の研究活動はとても報告できるような内容ではなく、お恥ずかしい限りです。でも気がついてみると、定年までのカウントダウンが始まっています。定年まで以下の作業を進め、できれば定年直前に二冊目の単著を出したいと考えています。
そのためにも今年度は4月から気を引き締めて動き始めました。以下のような柱で研究活動を進めていく決意です。
第一は、山口高等中学校関係の研究です。20年前に本格的研究に入り、史料発掘も済ませ、「さて論文にまとめよう」と思って補充調査をした際、山口高等中学校設立の中核になった防長教育会に関するとんでもない史料群と出会いました。「当面はこの史料群との闘いだ」という思いでその分析に入りました。これが大変貴重なもので、今その翻刻と分析をおこなっています。ようやくエンドがみえてきましたので、この史料を中心に据えた論文を考えています。主として防長教育会に関する論文で、今年9月締め切りの大学紀要論文に投稿すべく準備を進めています。この山口高等中学校関係では、山口高等中学校自体を対象とした論文も考えています。これは投稿先は未定ですが、史料も揃っていますのでひとまず論文化を考えます。
第二は、徴兵令認定中学校の研究、特に長崎県の大村尋常中学校の研究です。これも2014年に史料調査を終え、分析のみ残っていましたが、その分析も少しずつ進展してきました。長崎県議会議事録を読み、論文にまとめる計画です。上に書いた防長教育会に関する大学紀要論文を終えた後の、今年後半期にまとめる予定です。私が代表を務める中等教育史研究会の紀要に投稿しようと決意しています。
第三は、現在共同研究として取り組んでいる就学史研究です。これは山形県の事例を研究ノート的なものを大学紀要にまとめました(2020年)が、続けて他の事例研究や何らかの論文が書けないかと考えています。担当する府県の調査は、後は大分県の第一次史料調査が残っていますが、ここに期待をかけています。今年の夏から秋にかけて大分県の本格的な調査を予定しています。これは今年度末から来年度に論文化したいと考えています。
これらが全て順当に進めば、二冊目の単著を出したいと考えています。
最後に残った大きな課題は、戦没学徒兵手記の教育史的位置付けの課題です。1990年代後半頃からこの課題を意識し始め、2003年から大学のゼミで分析を始めました。ゼミ生諸君の期待以上の(失礼!)活躍で、予想以上の成果を挙げ、それらを集大成する作業が残っていました。私はかつてこの課題を意識して「国民の教養と中等教育の役割」という論文をまとめました(2017年)。戦没学徒兵の手記に表明された彼らの教養は、近代日本の教育史にどのように位置付くのかという大きな課題です。ゼミ生諸君との約束は、「この課題で成果を本にしよう」ということでした。しかし私自身の作業がちっとも進まずに今日に至っています。できれば定年前までになし遂げたい課題として考えています。
以上、私自身が直面している課題をまとめてみました。