史資料

山口調査報告
山口県での史料調査に久しぶりに出かけてきました。
出かけた先は、新型コロナでしばらく閉館されていた山口県文書館です。9月下旬にようやく開館されるという報告を受けて、時間の都合のついた先日、2泊3日で出かけてきました。
20年近く研究を続けてきた防長教育会と山口高等中学校の関係史料と、学齢児童就学関係史料の収集です。4時間新幹線に乗って山口に到着後、直ぐに文書館に飛び込みました。
その日に史料のあたりを付け、翌日開館と同時に閉館まで史料とにらめっこです。全部で500コマ以上を撮影してきました。
まずは山口県の明治期児童就学関係史料の調査です。期待していた就学実態に関する史料は明らかになりませんでしたが、『県教育史』等で不明だった明治19年と明治25年の「学齢児童就学規則」関係史料をみつけ、撮影することができました。
次に、かれこれ20年近くなる「山口高等中学校関係史料」の調査です。実は、初めて訪問したのが20年程前です。そこでは史料の所在についてはつかんでいました。当時の一眼レフフィルム・カメラを持参し一部を撮影したのですが、全貌がどうしても知りたいというストレスをためていました。その間、別な所蔵史料機関である山口大学など訪問していました。今回、「山口高等中学校一覧」や「山口高等中学校一件」といった必須史料を全部一眼レフ・デジタルカメラに撮影してきました。
ここに収録されている史料郡によって、山口高等中学校の性格に関する全貌が明らかになると期待しています。
例えば、上記は「管理条項」ですが、県・文部省・設置主体である防長教育会との権限関係が明らかになります。そしてその防長教育会についてですか、これまで、存在は認められている有名な団体ですが、どのようにして成立したのかなど謎が多くありました。以下の史料は成立の全貌を明らかにできる史料として期待しています。
このHPの「研究活動」でも紹介してきましたが、山口県の分析は非常に遅々とした歩みですが、これを契機に論文作成に向かって邁進していきたいと思っています。
茨城県立歴史資料館にて調査
このHPのブログにても書きましたが、茨城県立歴史館に史料調査のため出かけてきました。
コロナ禍の中での地方の図書館・資料館での調査は本当に大変でした。今回は早くから予約を入れ、当日2時間という制限の中での調査でした。歴史館の職員の方々の極めて御丁寧な対応に助けられ、無事調査を終えてきました。

歴史館の敷地内にある旧水街道小学校本館です。堂々とした洋風建築に圧倒されます。

本館の内部にある「御影奉安所」です。天皇と皇后の写真(御影)を保管していたところです。

今回の調査目的である「明治19年学齢児童就学規則」です。

これも目的でしたが「明治33年小学校令施行規則実施規程」です。

第一次小学校令下・福島県就学規則

福島県立図書館所蔵『福島県私立教育会雑誌』所収の、第一次小学校令下での「福島県就学規則」です。

当面の研究課題と紹介する史資料

私がすすめている当面の研究課題と、本欄で紹介したいと思っている史資料の概要をお伝えします。

第1。就学史研究です。各府県の「就学規則」を調査・収集し、分析します。この研究の意義については「研究活動」欄で詳述します。本欄では、各府県の就学規則について随時紹介していきます。

第2。防長教育会の成立の研究と山口高等中学校の設立と性格に関する研究です。防長教育会の設立と山口高等中学校の設立に関する教育史的意義を明らかにしうる史料を紹介します。

第3。戦没学徒兵手記『きけわだつみのこえ』に関する研究です。紹介できる史料はほとんどありませんが、刊行された史料を紹介し、研究につほいねては「研究活動」欄で詳述していきます。

第4。ほとんど未着手ですが、徴兵令認定学校の研究です。少しずつ現地史料を収集してきました。これも紹介したいと思います。

このほか、今論文としてまとめているのが「『学校と地域』関係再考─中等教育を焦点として」です。紹介できる史資料を本欄で紹介します。論文の内容は「研究活動」欄で述べます。

以上です。

教員プロフィール・主要研究論文一覧

1955年東京生。東京大学大学院教育学研究科・博士課程修了。博士。専攻は、近代日本中等教育史。著書『明治国家と地域教育』、編著『就学告諭と近代教育の形成』(東大出版会)『近代日本黎明期における「就学告諭」の研究』(東信堂)など。明治初期・地域の学校設立についての研究や中学校設立の研究などがテーマです。教育史学会理事を2003年から、2016年10月から中等教育史研究会代表を努めています。大東文化大学内では教職課程委員長などを歴任。現在教育学科主任・歴史資料館運営委員を務めています。

●趣味はクラシック音楽を聞くこと。特にベートーヴェンやバッハ、指揮者のフルトヴェングラー・ムラビンスキー・クレンペラーのファンで協会や研究会の会員になっています。その他にジャズや映画・演劇・歌舞伎鑑賞。自動二輪大型免許をもち、アマチュア無線は現在4級で近く3級にチャレンジします。小型船舶2級免許をもちボートで海に出るのも趣味です。最近は中南米音楽のフォルクローレ、特にケーナの演奏に凝っています。

●家族構成は、妻と一男三女、孫五人です。

<著書>

『明治国家と地域教育』2011年1月1日、吉川弘文館。

<編著>

  • 荒井明夫・川村肇編『就学告諭と近代教育の形成─勧奨の論理と学校創設』2016年2月、東京大学出版会
  • 荒井明夫編『近代日本黎明期における「就学告諭」の研究』 2008年2月29日、東信堂。
  • 堀尾輝久編『講座 学校2 日本の教育の50年』(柏書房)など。

 

<学術論文>

  1. 「鹿児島県管理尋常中学造士館の地域性に関する一考察」』中等教育史研究』第23号、2016年。
  2. 「鹿児島県における近代的中等教育機関の成立と展開-地域性に着目して-」『大東文化大学紀要』 第54号、2016年3月。
  3. 「就学告諭における『強迫性』の考察-就学『義務』論生成序説」(荒井明夫・川村肇『就学告諭と近  代教育の形成』 2016年2月、東大出版会、所収)、133-161頁。
  4. 「書評・池田雅則『私塾の近代-越後・長善館と民の近代教育の原風景」『日本の教育史学』第58集   2015年。
  5. 「書評・塩原佳典『名望家と<開化>の時代-地域秩序の再編と学校教育』を読んで」『日本教育史研  究』第34号、2015年。
  6. 「徴兵令認定中学校の性格に関する試論」『中等教育史研究』第22号、2015年。
  7. 「山形県における尋常中学校の成立」神辺靖光編『明治期尋常中学校成立史-東日本編』第五章、梓出  版社、2014年刊行。
  8. 「一八八〇年代教育史研究会のこれまでの研究成果と今後の研究課題について」『『一八八〇年代教   育史研究年報』第5号、2013年。
  9. 「文部省管理山口高等中学校・鹿児島高等中学造士館主要史料の解題」『『一八八〇年代教育史研究年  報』第5号、2013年。
  10. 「就学督責研究ノート(一)」『『一八八〇年代教育史研究年報』第4号、2012年。
  11. 「近代日本におけるアーティキュレーション形成史序説-一八七〇年代を中心に-」『一八八〇年代教  育史研究年報』第二号、2010年10月。
  12. 「一八八〇年代教育史研究の課題」『一八八〇年代教育史研究年報』第一号、2009年10月。
  13. 「近代日本公教育成立過程における国家と地域の公共性に関する一考察」(日本教育学会『教育学研   究』第72巻第4号、2005年)
  14. 「第一部解題」(中野実『近代日本大学制度の成立』吉川弘文館、2003年)
  15. 「『諸学校通則』第一条適用尋常中学校の性格に関する一試論-福岡県豊津尋常中学校の学校基本金に着目して-」(中等教育史研究会『中等教育史研究』第10号・2002年)
  16. 「山口高等中学校の性格と歴史的役割」(全国地方教育史学会『地方教育史研究』第23号、2002年)
  17. 「1891(明治24)年『中学校令中改正』後における府県管理中学校の性格に関する一考察-山形県庄内  尋常中学校を事例として-」(全国地方教育史学会『地方教育史研究』第21号・2000年5月)
  18. 「1891(明治24)年『中学校令中改正』後における府県管理中学校の性格に関する一考察-山形県米沢  尋常中学校を事例として-」(中等教育史研究会『中等教育史研究』第7号・1999年 4月)
  19. 「戦後教育改革における中等教育の性格に関する試論-新制中学校の設立過程分析を手がかりに
    -」(河内徳子編『21世紀の民俗と国家第7巻・多文化社会と教育改革』第8章として収録、1998年1月、未来社)
  20. 「戦後教育改革期における民衆と学校」(堀尾輝久他編『講座学校2 日本の学校の50年』の第1章として収録、1996年4月、柏書房)
  21. 「『森文政期』における中学校の設立維持基盤に関する研究-広島県尋常中学福山誠之館と福山教育義  会を中心に-(『大東文化大学紀要』第34号、1996年4月)
  22. 「1891年『中学校令改正』と広島県会(その2)-広島・福山両中学校地方税支弁をめぐる広島県会の  論議-」(中等教育史研究会『中等教育史研究』第4号、1996年4月刊行)