荒井明夫ブログ

3本の論文が完成しました。

大変ご無沙汰しております。酷暑の夏ですが、いかがお過ごしでしょうか。お蔭様をもちまして、小生も家族も元気で過ごしております。漸く、このHPに記入できるような「余裕」が出来ましたので御報告させて頂きます。既に、本HPの「研究活動」欄にて御報告したとおり、昨年から今年にかけて、3本の論文を執筆してきました。昨年の夏からかかりほぼ半年をかけてまとめました。それが活字になりましので御報告します。私の前著では、諸学校通則第一条に基づく「府県管理中学校」を研究対象とした博士論文でしたが、その中では、本来その対象として文部大臣管理の高等中学校という学校(鹿児島と山口にある)を対象とすべきでした。しかし「県管理」ではなく文部大臣管理であることと、「中学校」ではなく高等中学校であること、から対象を外しました。1996年頃から両校を研究対象の視野に入れ調査を始めました。対象は先ず山口にしました(写真上の右論文)。その調査を継続し、そろそろ論文としてまとめようとした時、山口高等中学校設立母胎である「防長教育会」の基礎資料を網羅する『忠愛公伝』なる史料と出会い、さらに『私立防長教育会関係山口高等中学校一件』なる基礎史料群と出会いしました。「これを分析し駆使しないでの論文化はありえない」と判断し、更に時間を要しました。幸い、2014年度には勤務先の大学から一年間の国内留学制度を受け、時間ができました。ここで、鹿児島の調査と論文化、山口の史料分析をすすめました。こうして鹿児島と山口の集中した論文化が進んだわけです。

この年度には鹿児島調査は勿論、もう一つ気になっていた徴兵令認定中学校の分析に着手し、まとまった史料の期待できる長崎県立大村高等学校(前身は大村中学校)の史料調査に入りました。その後時間のある時に分析をすすめ論文化に至ったわけです。現在、この3本の論文を含むこれまでの研究成果をまとめて一冊の著書にすべくまとめに入っています。近く刊行できましたら再度御案内させて頂きます。著書のまとめもできました。出版社と相談して『明治前期の国家と地域教育』と題して著書にします(表紙は写真下)。

長い時間がかかりましたが、この時間は必要だったと思っています。学会や研究会の代表を務め、勤務先では学科主任や学部長・ラグビー部部長の要職を務めてきましたが、この忙しさの中では時間が必要でした。近年、学問研究の速効性が声高く言われていますが、私は反対です。時間をかけてもしっかりした分析に基づく研究が必要だと実感しているからです。