演習

9月28日 後期第3回ゼミ活動報告

 はじめまして。荒井ゼミの志賀百香と申します。9月28日に行われた第3回荒井ゼミの活動をご報告致します。
 第3回は、2つの討論点をもとに連帯責任について討論を行いました。1点目は、成人に達した子どもの社会的犯罪に対して、親は、社会に対する責任という意味で、責任を負うべきかいなか。また、その根拠は何か。2点目は、男子ソフトテニス部の部員の1人が携帯電話を校内に持ち込んだことにより、全部員7人が連帯責任として顧問の男性教諭から頭を丸刈りにされた事件の関連新聞記事を読み、ここでの生徒たちの「連帯責任」を問う行動様式と校長や教師の判断、さらにはそれに対して批判的なコメントをどのように考えるか。さらにスポーツ界に支配的である「連帯責任」を問う考え方をどのように捉えるべきだと思うか。
 1点目については、法的責任と道義的責任の2つの視点から討論を行い、成人に達した子どもの場合は、親が社会的責任を負う必要はないという意見が多く出てきました。討論を進める中で世間からの圧力により親が責任を果たさざる負えない状況となっているのではないかという新たな論点が出てきたことにより、親が仕事を辞職・辞任せず責任を負わないことが容易ではない社会の姿が見えてきました。
 2点目については、見せしめとしての連帯責任と個人を際立たせない連帯責任の2つの視点から討論を行い、自らの連帯責任の経験を踏まえて意見を出し合いました。一概に連帯責任が悪いとは言い切れないのではないかという新たな論点から、話し合いによる自主的な連帯責任に対しての認識を深めることができました。
 今後もこのような討論を重ね、ゼミ生全員で豊かな討論力の育成に向けて精進して参ります。
 以上、略儀ではございますが、活動のご報告とさせていただきます。

9月21日 後期第2回ゼミ活動報告

 はじめまして。荒井ゼミの副ゼミ長の阿部恵大です。9月21日に行われた第2回目の荒井ゼミの活動報告をさせていただきます。
 前回の後期初回のゼミはチュートリアル的な内容となっていました。また前期はZoomによるゼミではなくゼミ専用のホームページを使って情報共有をするという形で行われていました。ですので文献を用い、それをもとに各々の声でリアルタイムの討論をするのは今回の後期第2回目が初めてです。そのため、後期第2回目のゼミではありながら、ある意味で初めてのゼミ活動であると言えます。そんな初めての本格的なゼミ活動では、苅谷剛彦さんの『アメリカの大学.ニッポンの大学』という文献の「TAによる大学の授業」という部分に焦点を当て、それを読みどのように考えたのか、またどのような感想を持ったのかについて共有し合い、日本の大学とアメリカの大学の違いや日本の大学の勉強スタイルの弱点などについて話し合いました。
 話し合いの内容は様々でしたが、その中で盛り上がったと感じたのが1・2年生のときにそれぞれどのような学習を経験したのかについての情報共有でした。特に基礎演習の話が中心で、それぞれが受けた基礎演習がどのような内容であったのか、また学生たちは積極的に参加をしていたのかなどについての情報を共有しました。そしてその話が発展して日本の大学生の学習における非積極性についての話となり、何を目的に大学を通うのかというような日本の大学生が大学に通う意味について就職活動や日本の社会的背景を踏まえながら意見を出し合い討論をしました。今回は解決策を出すということではなく、それぞれが何を感じ、どのように考えたのかについて率直な意見を出し合い、文献に対してだけではなく他の人の意見に対しても「なぜ」や「どうして」というような疑問を持つ力を鍛えることができたのではないかと私は考えました。
 正直ゼミ生同士お互いについてほとんど知りません。そのため討論もまだ満足できるような形にはなっていません。しかし今後はリアルタイムでちゃんとお互いの意見を「声」で聞くことができるので少しずつゼミが成長することができるのではないでしょうか。以上で9月21日に行われた後期第2回ゼミ活動報告を終わりにします。

9月14日、後期第1回目の荒井ゼミを開催しました。

 こんにちは。新体制荒井ゼミのゼミ長に就任いたしました名倉令と申します。新井ゼミの中核を担う役職(ゼミ長、副ゼミ長、ホームページ担当)の決定が大幅に遅れてしまい、7月末にようやく生徒主体の荒井ゼミがスタートしました。それに伴い、前期のゼミ活動報告が出来なかったことについてお詫び申し上げます。後期に関しては毎週、ゼミ活動報告を行なっていきますので暖かい目で見守ってくださると幸いです。
 さて、後期第1回目のゼミが9月14日にzoomを使用し、オンライン上で開催されたわけですが、ゼミ生全員の声を聞いたのはなんと2月の初顔合わせ以来でした。前期はゼミ生のインターネット回線事情を考慮してzoomの使用を控え、ゼミ専用のホームページでの活動を行っていたためほぼ半年ぶりの再会ということになります。第1回目のゼミでは主に今後の進行予定の確認と、前期のオンライン授業・ゼミを通じて各個人、どんな感想をもったかの情報共有をしました。情報共有をする中で、多く見られた意見として授業全般に関しては、毎週の課題が多く、アルバイトや副免許といった資格取得の勉強等の両立がとても厳しかった。ゼミに関しては、こちらのホームページを活用しながら議論を深めることが主体だったため、自分の書いた意見とは違う解釈をされた場合にすぐに返答が出来ないことが不便だった。ゼミ全体のモチベーションの維持が難しく、ひとつの議題に対しての意見を深めるといった作業が雑なものになってしまい、不完全燃焼だったという感想が見られました。今回発議されたゼミの不満を解消するべく、荒井ゼミではゼミの後に自由参加のフリートークの時間を設け、さらに討論をしたい人や、ゼミ論文に向けてのアドバイスが欲しいといった疑問を気軽に話せる環境を整えることを決定しました。ゼミ長としては、この時間を利用して個人企画の討論や、ゼミ生同士が親しくなれるような時間に充てるなど、有効的に活用していきたいと考えております。
 最後になりますが、現2回生は既にゼミの選択時期に差し掛かっております。荒井ゼミでも新規メンバー獲得のために、荒井先生によるオンライン上でのゼミ説明会や、私と副ゼミ長が主体となってゼミ紹介動画を作成するなど鋭意努力中です!たくさんのゼミ生を交えた討論も個人的には楽しそうだなと考えているので、今から新規メンバーの加入が楽しみでなりません。それまでによそよそしい今の関係から、 全員と小話ができるぐらいには仲良くなれたらいいなと思います。少し長くなってしまいましたが、本日はこの辺で筆を置かせていただきます。お付き合いいただきありがとうございました。 名倉令

2020年度の前期をようやく終えました。

異例づくめの2020年度前期がようやく終わりました。新型コロナウィルス対策のため、大学は、全授業をオンラインで行いました。私も全講義を「音声」「資料」「レジュメ」を使用して行いました。慣れない中での対応は、本当に大変でした。学生諸君も大変だったと思います。

第一に、なんといっても新一年生が気の毒でした。入学式も無いまま新学期に突入し、いきなりのオンライン授業。私のもとにも「友人を作りたい」「ともだちがほしい」という声が多く寄せられました。この声に大学・教職員は真剣に耳を傾け、対策を講じる必要があるとおもいました。

第二は、いうまでもなく全授業を全部準備し直すという作業でした。これまでは前年度の講義をベースにしていましたが毎回のオンラインは全部を組み直さねばならず、その精神的肉体的負担は大変なものでした。

第三は、意外にも、学生諸君から好評だった点です。「音声を何回も聞き直して確認できたのがよかった」とか、「音声が30分程度だったので先生の話の焦点が定まっていて分かりやすかった」とか、「レジュメと資料もあって参照できてよかった」とか、「時折、先生が『疲れもピークでしょう。体調管理に気をつけて下さい』という挨拶が嬉しかった」など、という声が寄せられ、励まされました。

2020年度後期授業も基本はオンラインという方針です。前期の反省を活かして努力したいと決意しています。

 

公園の桜です。

我が家の近くの公園で桜が満開でした。

2019年9月から2020年3月までの研究活動

2019年9月から2020年3月までの研究活動は以下の通りです。

(1)9月28日・29日に開催された教育史学会大会第63回大会に参加しました。午前中に分科会の司会を努めてきました。前日の理事会・中等教育史研究会に参加しました。

(2)論文「地域からの義務教育成立史の考察─山形県を事例にして」(大東文化大学紀要・第58号掲載)が刊行されました。

(3)論文「『地域と学校』関係再考─高校を中心に」を『中等教育史研究』第27号(2020年4月刊行予定)にまとめました。

(4)なかなか進みませんが、山口県の防長教育会成立史の史料整理、「きけわだつみのこえ」に関する論文等を読みすすめました。

(5)2020年度科研費・基盤研究B「義務教育制度成立過程における就学構造の研究-地域史的アプローチ」にエントリーし、結果は4月1日に発表され、採択されました。

(6)この時期の史料調査は以下のとおりです。山形県山形市(10月16日~17日)、福島県郡山市安積高等学校(10月25日~26日)、福島県福島市(11月8日~9日、2020年2月27日~28日)、北海道札幌市・小樽市(11月12日~14日)、秋田県秋田市(11月29日~30日)、長野県長野市(12月6日~7日、2020年1月30日~31日)、和歌山県和歌山市・三重県津市(12月10日~12日)、栃木県宇都宮市(12月20日~21日)、岩手県盛岡市(2020年1月10日~11日)、鹿児島県鹿児島市・宮崎県宮崎市(2020年1月23日~25日)。それぞれ現地の県立図書館・市立図書館・博物館で調査してきました。

我が家の木瓜(ボケ)の花が満開です。

我が家の庭の木瓜(ボケ)の花です。ちょうど今満開です。

2020年度卒業証書授与式での挨拶(の予定だった)文

昨日は今年度の卒業式の予定日でした。この日、私も4年に及ぶ学科主任として最後の挨拶をする予定でした。
卒業証書は、卒業生に郵送で送られるとのことでした。それではあまりに機械的で、一生に一度の卒業生にとっては冷たい対応になると思い、学科主任としての卒業生へのお祝いの言葉を印刷して同封させていただきました。以下掲載します。

御卒業を心からお祝いします。  教育学科主任・荒井明夫
新型コロナウィルスの関係で、みなさんにとって一生に一度となる卒業式・卒業証書授与式が中止になってしまいました。みなさんもさぞ残念だと思います。私も、お一人お一人に卒業証書を手渡しできないことを本当に残念に思います。
せめて私の「思い」をお伝えしたくてこの一文を書きました。
卒業生のみなさん。御卒業おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。また、みなさんがこれまの教育学科、所属のゼミ、教育学会関係団体などで4年生として指導力を発揮してきてくれたことに対しても心から感謝申し上げます。
みなさんがこの大学に入学された2016年7月、神奈川県相模原市にある県立の知的障がい者福祉施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が刺殺され入所者・職員計26人が重軽傷を負わされた事件が発生しました。同園の元職員である植松聖被告が逮捕され、公判が本年1月から始まり、3月16日には横浜地方裁判所で死刑判決が言い渡されました。事件は、発生前の被告の行動から、公判中に至るまで、全てが異様な展開を示していました。
この事件の第一報を受けた時、「とうとう起きた」という印象をもちました。「まさか!」と思わなかった自分自身に慄然とする思いです。なぜならば、日本社会の、日本人一人一人の中に、「人間に対する見方」「人の命に対する見方」の軽さが蔓延しているように思えてならないからです。この事件の根底には様々な「人間に対する考え方」「生命に対する考え方」が複雑に絡み合っています。その一つとして現代日本社会を支配している新自由主義的な人間観、生命に対する優生思想があるように思います。
人間を、なにか、心・思い・感情のある有機体としてではなく、無機質的なものとしてみる見方、つまり人間を機械かロボットとして見る見方が根底にあるように思えます。そして、人間の命へのランク付けは、差別や偏見を超えた優生思想そのものです。優生思想とは、人間の命をランク付け「生きる価値のある命」と「生きる価値の無い命」に峻別し、その上で生存の適否を決定するおぞましい考え方です。戦前のナチス・ドイツにおけるユダヤ人や障がい者への大量殺戮を想定すれば理解できるでしょう。
具体的にいうと、「価値がある人間・ない人間 」「 役に立つ人間・立たない人間 」「 優秀な人間・そうでない人間 」といった偏った考え方で人間をとらえ、人間の生命に優劣をつける考え方が優生思想です。
事件を引き起こした植松聖被告は、障がい者は生産性が無く、生きるに値しない、と持論を公判中でも展開していました。「 役に立つ・立たない」といった人間や生命を価値的に見ていく考え方は、いずれは自分も含めた全ての人の生存を軽視・否定することにつながっていくはずです。
「人間の価値」とか「生命の価値」とか「生きる価値」とか、そもそも人間や生命という言葉に「価値」という言葉をつなげるべきではないのではないでしょうか。人間や生命には「尊厳」という言葉のみがあっているのではないでしょうか。尊厳とは「どんなものによっても代えることができないもの・存在」と意味付けることができるでしょう。
大変残念ながら、日本の社会には今、ヘイトクライム、ヘイトスピーチ、ヘイト文書など、ヘイト・憎悪という言葉があふれています。
この「憎悪」に対して、みなさんは、教育学科で「人間のすばらしさ」を学んでこられたものと確信しています。大学で学ばれたことを基礎に、「自分を大切にし、他人を大切にし、人間を大切にしていってほしい」と思います。そしてこれからも学びを続けて行って下さい。
「生命のすばらしさ」を謳った、吉野弘さんのすばらしい詩をみなさんにお贈りして御卒業のお祝いの言葉とさせていただきます。

   『 生命 ( いのち ) は』        作:吉野 弘
生命 ( いのち ) は
自分自身だけでは完結できないように、つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは、不充分で 虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命 ( いのち ) は
その中に欠如を抱き、それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分 他者の総和
しかし 互いに
欠如を満たすなどとは、知りもせず 知らされもせず
ばらまかれている者同士、無関心でいられる間柄
ときにうとましく思うことさえも許されている間柄
そのように 世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?
花が咲いている、すぐ近くまで
虻 ( あぶ ) の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻 ( あぶ ) だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

みなさんの御卒業を心からお祝いし、今後の御健闘をお祈りいたします。        2020年3月18日

「新型コロナウィルス狂騒」の終着点

新型コロナウィルスの対応で日本中が混乱している。真摯に対応している医療関係者の尽力には頭が下がる思いである。しかし、マスクのみならずトイレットペーパーや米までも「買いだめ」が始まっているとなると、それは「狂騒」だと思うのは私一人ではないだろう。
ところで、この「狂騒」の中で「人権侵害」が至るところで起こっていることが気になる。例えば、2月27日の安倍首相による突然の「3月2日からの学校一斉休校要請」などは端的にそのことを示したといえる。27日に唐突の「一斉休校」を要請すれば、現場の混乱は予想できるはずだ。本来学校が担うはずの「子どもの学ぶ権利保障」が突然奪われてしまう。首相の唐突な「一斉休校要請」には「子どもの学ぶ権利をいかに保障するか」という視点が全くみられない。「子どもの生命と健康を最優先している」という反論があるかもしれない。それはそれで大切なことだが、今日本全国で広がっている事態は「子どもの学ぶ権利」が奪われていることへの戸惑いと混乱である。
3月の学校は、一年間の締めくくりとして多様な学びの総括イベントを用意している。卒業式はもちろん、学習成果発表会・期末テスト・教員の評価活動である。安倍首相の一方的要請は、こうした活動を最大限に尊重するという視点を全く欠落させている。
「子どもの生命と安全を最優先する」名目で「子どもの学ぶ権利」を奪った形になっている。
これは戦争中の「国家利益のための人権制限」を彷彿とさせる。いいかえるとこの問題を、人権制限・改憲へのステップにしようとしてるのではないかと思われるのである。
考えてみると「一斉休校要請」は、首相による「緊急事態による人権制限」への布石なのではないか。「新型コロナウィルス狂騒」を利用し、まともに政治的対策を採らないばかりか、改憲への政治的道具にしようとしているのではないか。例えば、1月28日衆議院予算委員会での日本維新の会・馬場幹事長の質問「『このようなことがあったから緊急事態条項を新設しなければならないのだ』という議論を活発に行えば、国民の理解も深まるのではないか」とする誘導質問に対し、安倍総理は「今後想定される巨大地震や津波等に迅速に対処する観点から憲法に緊急事態をどう位置付けられるかは大いに議論すべきものだ」と答弁している。また、自民党の伊吹文明元衆院議長も1月30日に二階派の会合で「緊急事態に個人の権限をどう制限するか。憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない。」と語っている。
与党の政治家たちは、こうした新型コロナウィルスの国民的「狂騒」を煽って、自らの改憲へ煽動しようとする意図が透けてみえてくる。
だとするならば、そうした問題の本質のすり替えを許さない、冷静な眼とこの問題に対する真剣な政治の対応を求める国民的世論を高めなければならないと思うのである。

7年ぶりのゼミ再開・2020年度荒井ゼミ第一回

7年ぶりとなる新・荒井ゼミ。2020年度第一回「顔合わせ会」が開催されました。9名の3年生全員が集合し、自己紹介・今後の方針を交流しました。

緊張した中でもしだいに和らいでいきました。ゼミの活動の様子はこのHPの「演習」「研究指導」「学生ブログ」で発信していきます。

これからどうぞよろしくお願いします。