荒井明夫ブログ

茨城県立図書館での調査
茨城県立歴史館に史料調査のため出かけてきました。
コロナ禍の中での地方の図書館・資料館での調査は平常の場合に比べてとても大変です。都内で予備調査を重ね、当該史料館での史料の存在を確認し、当該史料館に「東京からの出張を受け入れてくれるか否か」を確認し、その上で調査の予約を入れます。しかも多くの場合、一回の調査時間が1時間30分から2時間と制限されています。
昨日も同じような手だてで調査をおこなってきました。
歴史館の職員の方々の極めて御丁寧な対応に助けられ、無事調査を終えてきました。写真(上)は歴史館の敷地内にある旧水街道小学校本館です。立派な洋風建築です。その次の写真はその内部にある「御影奉安所」で、天皇と皇后の写真(御影)を保管していた部屋です。3つ目の写真は歴史館の全景です。最後の写真は今回の調査目的のひとつである「明治19年学齢児童就学規則」の一部です。

歴史館の敷地内にある旧水街道小学校本館。

2021年度前期ゼミを終えました。

2021年度前期もようやく終わろうとしています。

学部長職就任のため、学科の特別の計らいで担当授業を少なくしていただきました。ゼミは既に月曜日に終了し、「教育史」講義も昨日終えました。前期の授業は全て終えたことになります。コロナ禍のため、対面型であったりオンラインに移行したりとコロナに翻弄されましたが、学生諸君は良くついてきてくれたと思っています。

今年度の前期ゼミでは、社会を震撼させた3つの衝撃的な事件のルポルタージュを取り上げ、全員で読み検討しました。2008年に発生した「秋葉原事件」、2015年に川崎市で発生した「中学一年生男子殺害事件」、2016年に発生した「障がい者施設での殺傷事件(相模原事件)」の3件を採り上げたルポルタージュです(写真)。
この事件のルポルタージュを読みながら、その事件の深奥にある社会的側面に立ち入って、事件の社会的背景を探ることを意図しました。
「秋葉原事件」では、成績優秀ながらも親の虐待の中で成長した過程・不安定雇傭の実態の中でストレスを蓄積した過程に注目し、「中学一年生男子殺害事件」では、地域環境と子育ての関係や激しい暴力の中でも友達を求め続けた被害者の心情、「障がい者施設での殺傷事件(相模原事件)」では社会に存在する優生思想と事件を引き起こした植松死刑囚が大学で教育学を学んだ点に着目し「大学・教育機関での学びの意味」について討論してきました。
各班による問題提起とそれに基づく討論は徐々に深まりをみせ、社会的背景に迫る討論ができたと思います。ゼミ生諸君の、真摯な問題提起と討論の姿勢・論点に私自身も学ぶこと大でした。
後期は、前期の成果に基づいて優生思想の歴史的根源と戦時下にあって「人間はどう生きるべきか」を追求した吉野源三郎『君たちはどう生きるか』を今年も読み、人間観を深めていきたいと考えています。

つれづれなるままに
 今日は、つれづれなるままに、力を抜いて書いてみた。
 若い頃は、毎月初めの日曜日に、僅かな小遣いを懐に抱いて、神田周辺の本屋街に出かけ、午前中に新刊書を買い、気に入った店でお昼を食べ、午後には古本屋をまわって時間を過ごし、喫茶店で時間を過ごすことを楽しみにしていた。
 最近は、専らアマゾンでの購入である。出かけずに、ほしい本を探さずに、ピンポイントで効率良く必要な本だけを限定して購入している。その結果気がついてみると「面白そうな本を手にとってみる」体験がなくなった。
 もう一つ気になるのは、大変大げさだが貧富の格差拡大への自分自身の加担である。アマゾン会長のジェフ・ベゾス氏は2018~2020年3年連続で世界一の大富豪であった。資産はなんと14兆円!全く想像できない金額ではないか。時給に換算すると4億円!日本人の生涯賃金が平均3億円というからベゾス氏は私たちが一生かかっても稼げない賃金を一時間で稼いでいることになる。
 そのお金はどれほどの額か。
 世界人口の下半分、35億人が所持しているお金と上位62人が所有する資産が等しい。
 ベゾス氏の資産に1%の税金をかけるだけで、エチオピアの医療費は総て賄えるという。
 世界の大富豪上位22人の資産の合計は、アフリカ全女性の資産よりも多いらしい。
 上位1%の大富豪に0.5%の税金をかけるだけで2億6千万人の子どもが学校に行くことができ、300万人を飢えから救済できるそうだ(国際NGOオックスファム報告書)。
 「格差の是正」というと「自分にはできそうもない」課題だと思える。でも、アマゾンではなく、本屋街を歩くことで中小の書店は少しでも活気づくかもしれない。
 コロナ禍の中、生活が大変な人々が増えている世界だ。
 自分のゆとりを取り戻すような、ゆとりと時間を楽しむ生き方も考えるべきなのかもしれない。そんなことを思う今日この頃である。
教育史1の講義内容について

4月15日・第一回・オリエンテーション。この教育史がめざす内容について、教育史とはどのような学問なのか、この講義の進め方、評価、注意事項について説明しました。配布物はレジュメ一枚です。

4月22日・第二回・「『記憶の澱』にみる日本人の生き方─戦時下を中心に」。この日は、先のアジア太平洋戦争の時代を生き抜いた人々の「記憶の澱」を手がかりに、当時の日本人がどのように戦争の中をいきたのかを、ビデオをみて考えました。当時の日本人は、戦争の「被害者=加害者」として体験してきた事実をリアルに把握しました。配布物はありません。

ラグビー部、新年度が始まる
新年度が始まりました。新1年生19名と新コーチ2名を迎えて新たなチームづくりが始まっています。
遅くなってしまいましたが、4月25日に部長として今年度はじめて部員の練習を見学し、激励することができました。当日は実戦形式の練習でした。選手のみんなは体もよく動き、声もよく出ていました。5月に入ると、練習試合と春季大会が始まります。
今年度も応援よろしくお願いします。
酒田に調査の際にみた鳥海山

 

山形県の酒田市に調査に出かけました。その際、宿泊した宿からみた鳥海山があまりにすばらしかったので撮影しました。圧倒されました。

4月1日付で文学部長を拝命しました。
文学部長を拝命し、微力ながら頑張りたいと決意しています。お付き合い頂いている関係の皆様・卒業生の皆様、どうぞよろしくお願いします。
文学部ホームページに、挨拶として、誠に表現の堅い窮屈な文章ですが、文学部の存在意義について書かせて頂きました。20年程前から「文学部は役立たず」という評価が一定の広がりをみせています。それに対しての反論として「役には立たないが必要だ」という訳のわからない議論が出ています。私は、それは違うと思っていました。文学部が提供する教養は今の社会に必要なのだ、という思いを書かずにいられませんでした。お読み頂ければ幸いです。
菅政権による「学術会議委員任命拒否」問題の本質はどこにあるか。

今回の事件の本質は、日本学術会議を潰し、政権によって学問を統制することに狙いがある。学術会議委員の内閣総理大臣による任命拒否はその入り口にすぎない。

<異様なデマ攻撃の実態>
驚くべきことの一つは、任命拒否問題が明確になり、それに対する批判が噴出する中、政権側ないし政権に近い立場の人から驚く程に低次元の攻撃が展開された点である。例えば、ある閣僚経験者は「学術会議が中国の千人計画に協力している」というデマを流し、別な閣僚経験者は「日本学術会議は答申を出しておらず仕事をしていない」というデマを流した。さらに「学術会議会員になれば年金250万円がもらえる」とはフジテレビ解説委員によるものであり、「任命拒否された六人の学術評価はスコーパス(学術評価ツール)で低評価だった」とは某・加計学園客員教授である。
なんとも低次元の攻撃だが、共通する点は、少し調べればわかる程度のデマを流した程に躍起になっている点だ。それ程にこの問題は核心を付き、彼等の焦りを起こしていると思われる。

<学術会議法違反の実態>
「任命が推薦に基づいて行われる」にも関わらず「任命の義務はない」という議論のすり替えは明らかに学術会議法違反である。この点で、法学者で元学術会議議長の広渡清吾氏(東京大学名誉教授)は「なぜ任命拒否がダメなのか」それは「日本が法治国家だからです。たとえ最高権力者であろうと、解釈変更による法律違反は許されない」と断言している。

<任命拒否問題の本質は政権による学問統制にある>
今回の菅政権による任命拒否問題の究極の目標は、人文社会系の御用学者を創り出したい政権の思惑にある。今回の任命拒否は、つまりレッド・パージそのものなのだ。政権が気に入らない研究者を排除する点に注意しなければならない。
近年の日本の学術政策は科学技術偏重で、人文社会系はお荷物、場合によってはリストラの対象、とこれまでは言われてきた。昨年「統合イノベーション戦略2020」が成立し、従来の科学技術基本法から25年ぶりに科学技術・イノベーション基本法に改正された。旧法では対象外だった人文社会がここに入った。政権は人文社会科学の重要性に気づいたわけである。
そのきっかけは東日本大震災だったようである。2011年以降、危機管理は災害関連分野の専門家だけではなく、人文社会系の研究者、経済学者、ジャーナリスト、財界人などが必要となったのだ。今回の新型コロナ対策もまたしかりである。メディア対策やリスクコミュニケーションを含め、人文社会系の知も動員してそれこそ総合的、俯瞰的に対応せざるを得ないと判断されたのだ。
政権にとって学術会議がネックとなるのは、軍事研究に協力しないという声明を再三出した事実があり、もう一つ核のゴミ問題では、2015年に学術会議の文系理系の研究者が領域を問わず「高レベル放射性廃棄物の処分に関する政策提言」を出している。軍事研究と原子力政策については、学術会議は政権に批判的提言を続けてきたわけである(先のデマ攻撃の一つ「学術会議は仕事をしていない」は、政権が気に入る仕事をしていないということでもある)。
私たちは、政権による学術会議介入を許せば、次に大学学長任命に対する介入と、科学研究費補助金に対する配分に、政権の介入を許すことに連なると考える。実際、自民党の杉田水脈議員などは「反日的な研究に国費は出すな」と主張し「慰安婦」問題研究に圧力をかけている事実がある。
こうした先を見据えた時、だから、我々は政権による学術会議委員任命拒否問題で譲れないのである。

2020年4月から2021年3月までの研究活動

2020年4月から2021年3月までの研究活動ですが、新型コロナ対策に関係しての大学の講義が全てオンラインになったため、その対応で終始した一年でした。言い訳になってしまいますが、担当していた全講義を、オンラインに対応させるため講義準備が全て必要になり、それに対応していたため、研究の時間を割くことが大変でした。その中で、次のような活動を展開しました。

(1)9月26日・27日に開催された教育史学会大会第64回大会で2日目午前中の司会を務めました。前日の理事会・中等教育史研究会に参加しました。これらは全てZoomによる参加です。

(2)昨年度の成果として報告しましたが、論文「地域からの義務教育成立史の考察─山形県を事例にして」(大東文化大学紀要・第58号掲載)が3月に刊行されました。

(3)論文「『地域と学校』関係再考─高校を中心に」を『中等教育史研究』第27号が刊行されました(2020年4月)。

(4)なかなか進みませんが、山口県の防長教育会成立史の史料整理、「きけわだつみのこえ」に関する論文等を読みすすめました。

(5)本年度から4年間の科研費採択を受けて就学史研究会を、9月1日に第3回、2021年3月1日に第4回を開催しました。第4回研究会で、山県・福島・栃木・大分各県の就学規則の特徴について報告しました。

(6)この時期の史料調査は以下のとおりです。福島県福島市(6月4日~5日)、長野県長野市(6月16日~17日)、青森県青森市(7月7日~8日)、福島県会津若松市(9月7日~8日)、栃木県宇都宮市(10月8日~9日)、長野県松本市(12月1日~2日)、福島県福島市(2021年1月19日~20日)。それぞれ現地の県立図書館・市立図書館・博物館で調査してきました。

2020年度のゼミ・後期ゼミについて思うこと
7年ぶりに開いたゼミも、ゼミ論文中間発表会とゼミ論文執筆という大イベントが残っていますが、年間計画を無事終えました。Zoomを用いたオンライン型で不自由な点もありましたが、ゼミ生諸君は実によく頑張ってくれました。
2020年度の後期は、吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』(写真上)を全員で読みました。今から84年前の1937・昭和12年に書かれた本です。未だに読み継がれ、最近5~6年ではマンガ゙本も含めてベストセラーになっています。私は、この機会に関連した本(写真下)を読みました。
写真下の一番左側は、私がこの本を初めて手にした小学生の時のポプラ社版。この機会に読めた本は、吉野源三郎の一連の著作と、『きみたちはどう生きるか』の各種解説本です。解説本は、あまりしっくり来ないものが多かったです。橋本進氏の『「君たちはどう生きるか」を読み解く』(下写真右から2冊目)は、大学生向けの講義本で、吉野本の各章の論点をなぞりながら、そこでの名著を詳細に紹介するという内容です。これなどは、大学生が読むのに格好な入門書だと思います。梨木香歩氏の『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(下写真左から5冊目・岩波現代文庫)は、この主人公もコペル君ですが、現代版の『君たちはどう生きるか』だと思います。
今回、ゼミ生諸君と読む中でいろいろ教えられました。ゼミ生諸君の共通の感想は、「今の社会でも充分通用する説得力ある本」というものでした。たしかに、吉野さんがこの本を書いた当時は、中国大陸への本格的侵略が始まる時期であり戦争の時代でした。吉野さん自身が「あとがき」で書いているように「真実を語ることができない」時代に「子どもたちには真実を伝えたい」という」という思いに満ち溢れた本です。
ゼミ生諸君が読み取った「今の時代に通用」するとはどういうことなのか。社会全体の同調圧力の強さ・「でたらめ」という程の強すぎる政治権力、等の下での無力感の中で、吉野源三郎のいうヒューマニズム・人間中心主義を私たちは必要としている、ということのあらわれなのではないかと考えます。『人間を信じる』(下写真の左から4冊目・岩波現代文庫)戦後、灰塵の中で人心も荒れ果て、そうした「さま」を目の当たりにして、なお呟いた吉野源三郎の思い・言葉を掘り下げて考えてみたいと思っています。