2023年03月05日
2022年4月から2023年3月までの、一年間の研究活動報告です。なんとか恥ずかしく無い報告ができます。
(1)以下の3本の論文をまとめました。
①9月締切りの『大東文化大学紀要』に「防長教育会の歴史的性格に関する一考察」と題する論文をまとめました。2023年3月刊行となります。
②2023年1月締切りの『中等教育史研究』に「文部大臣管理山口高等中学校の『管理』をめぐる一考察」をまとめました。2023年5月刊行となります。
※上記の2論文は、20年以上の年月をかけての論文となりました。
③2023年2月締切りの『地方教育史研究』に「私立尋常大村中学校の設立と性格に関する一考察─徴兵令認定中学校の性格に関する一断面─」をまとめました。2023年5月刊行になります。
※この論文の執筆にあたって、最初に対象校の現在校である大村高等学校に調査に入ったのは8年前でした。
(2)史料調査旅行報告。
①4月14日から16日までと8月17日から19日まで。山口県立図書館・文書館調査。上記論文①②に結実した史料の最終調査でした。
②5月31日から6月3日までと2023年2月1日から3日まで。長崎県立図書館・文書館調査。上記論文③に結実した史料の調査です。
③6月30日から7月1日まで。長野県文書館での史料調査と満蒙開拓義勇軍の展示をみてきました。
④10月20日から22日まで。奈良県立図書情報館での史料調査。私の本を読んで下さった方から吉野尋常中学校に関する貴重な情報を提供して頂きました。その情報を得ての調査です。
⑤2023年3月2日から4日まで。香川県立図書館での史料調査。
(3)学会活動。
①9月の教育史学会大会から『日本の教育史学』第66集編集委員長を仰せつかり、現在慎重に投稿論文審査をすすめています。
②5月20日に北海道・札幌で開催された中等教育史研究会と、続く21日・22日にこれも札幌市内で開催された全国地方教育史学会大会に参加してきました。
③9月24日開催の教育史学会大会(於・埼玉大学主催・ズーム)に参加しました。
④11月5日開催の中等教育史研究会(於・大東文化会館)に参加しました。
⑤9月5日と2月5日に開催された就学史研究会に参加しました。
以上が2022年度の研究報告となります。
2023年01月21日
カテゴリ:荒井明夫ブログ
2022年08月06日
カテゴリ:荒井明夫ブログ
2022年05月03日
最近の研究活動はとても報告できるような内容ではなく、お恥ずかしい限りです。でも気がついてみると、定年までのカウントダウンが始まっています。定年まで以下の作業を進め、できれば定年直前に二冊目の単著を出したいと考えています。
そのためにも今年度は4月から気を引き締めて動き始めました。以下のような柱で研究活動を進めていく決意です。
第一は、山口高等中学校関係の研究です。20年前に本格的研究に入り、史料発掘も済ませ、「さて論文にまとめよう」と思って補充調査をした際、山口高等中学校設立の中核になった防長教育会に関するとんでもない史料群と出会いました。「当面はこの史料群との闘いだ」という思いでその分析に入りました。これが大変貴重なもので、今その翻刻と分析をおこなっています。ようやくエンドがみえてきましたので、この史料を中心に据えた論文を考えています。主として防長教育会に関する論文で、今年9月締め切りの大学紀要論文に投稿すべく準備を進めています。この山口高等中学校関係では、山口高等中学校自体を対象とした論文も考えています。これは投稿先は未定ですが、史料も揃っていますのでひとまず論文化を考えます。
第二は、徴兵令認定中学校の研究、特に長崎県の大村尋常中学校の研究です。これも2014年に史料調査を終え、分析のみ残っていましたが、その分析も少しずつ進展してきました。長崎県議会議事録を読み、論文にまとめる計画です。上に書いた防長教育会に関する大学紀要論文を終えた後の、今年後半期にまとめる予定です。私が代表を務める中等教育史研究会の紀要に投稿しようと決意しています。
第三は、現在共同研究として取り組んでいる就学史研究です。これは山形県の事例を研究ノート的なものを大学紀要にまとめました(2020年)が、続けて他の事例研究や何らかの論文が書けないかと考えています。担当する府県の調査は、後は大分県の第一次史料調査が残っていますが、ここに期待をかけています。今年の夏から秋にかけて大分県の本格的な調査を予定しています。これは今年度末から来年度に論文化したいと考えています。
これらが全て順当に進めば、二冊目の単著を出したいと考えています。
最後に残った大きな課題は、戦没学徒兵手記の教育史的位置付けの課題です。1990年代後半頃からこの課題を意識し始め、2003年から大学のゼミで分析を始めました。ゼミ生諸君の期待以上の(失礼!)活躍で、予想以上の成果を挙げ、それらを集大成する作業が残っていました。私はかつてこの課題を意識して「国民の教養と中等教育の役割」という論文をまとめました(2017年)。戦没学徒兵の手記に表明された彼らの教養は、近代日本の教育史にどのように位置付くのかという大きな課題です。ゼミ生諸君との約束は、「この課題で成果を本にしよう」ということでした。しかし私自身の作業がちっとも進まずに今日に至っています。できれば定年前までになし遂げたい課題として考えています。
以上、私自身が直面している課題をまとめてみました。
2022年04月26日
2022年02月25日
2022年02月22日
「コロナ禍の最中なのにポスト・コロナを語るとは不謹慎」と怒られそうであるが、「闘いの最中にあって『戦後』を展望しておく」ことは歴史の教えるところでもある。戦後の設計は、戦中からなされていた。だとすればこの2年間に及ぶ「コロナとの闘い」から我々は何を教訓として受け止め、ポスト・コロナに引き継いで行くべきなのだろうか。
苅谷剛彦氏は「新型コロナウィルスがもたらす危機が私たちの『日常』に変更を迫る深刻さ」を直視し、「地に足を着けた教育論議の必要」を強調する。その中で「大学がどのような教育と学習を提供するかできるか」に問題を収斂させる。大学教育の問い直しによって「コロナ禍は、日本社会が築き上げてきた学問や教育の強靱さ・しなやかさ(resilience)を試す機会」であるととらえている。
『中央公論・22年2月号』は、アフターコロナの大学論を8大学のトップにインタビューした記事があり面白かった。コロナ禍で直面した困難・苦労は当然大学により異なっているが、「オンライン授業」を簡単に全面的に否定するのではなく、その長所を見据え「知の伝達」における学習効果をしっかり見据え、コンピテンシーをどのように育成するかを真剣に考えている点などはかなりの大学で共通しているようだ。その場合、学問の教授を「授業」という狭い枠内だけで捉えるのではなく、部活動やサークル活動を位置づけ直し、こうした課外活動を「正課外活動」と位置付ける関西学院大学の取り組みなどは参考になった。
我が大東文化大学は板橋校舎と東松山校舎の2つのキャンパスに分かれていることがデメリットであると捉えられてきた。実際、キャンパス間の移動が一時間以上かかることをみれば、学生諸君のカリキュラム履修制限がある。実際、1限に板橋校舎の授業を受け、2限に東松山校舎での授業を受けることは不可能である。学生諸君にはデメリットでしかない。しかし「オンデマンド型授業」の経験を導入することで両校舎の距離はなくなり、移動時間が省略できる。学生にとっては極めて有効かつ効果的にカリキュラムを構築できるのではないかと考える。「オンデマンド型授業でできること」「オンデマンド型ではできずに対面型で実現できること」をいまこそしっかり総括すべき時である。
2022年01月30日
写真は、現在のトンガ出身の部員を中心に撮影しました。支援の御協力をよろしくお願いします。御協力を頂く場合は次の方法でお願いします。
カテゴリ:荒井明夫ブログ