荒井明夫ブログ

「新型コロナウィルス狂騒」の終着点

新型コロナウィルスの対応で日本中が混乱している。真摯に対応している医療関係者の尽力には頭が下がる思いである。しかし、マスクのみならずトイレットペーパーや米までも「買いだめ」が始まっているとなると、それは「狂騒」だと思うのは私一人ではないだろう。
ところで、この「狂騒」の中で「人権侵害」が至るところで起こっていることが気になる。例えば、2月27日の安倍首相による突然の「3月2日からの学校一斉休校要請」などは端的にそのことを示したといえる。27日に唐突の「一斉休校」を要請すれば、現場の混乱は予想できるはずだ。本来学校が担うはずの「子どもの学ぶ権利保障」が突然奪われてしまう。首相の唐突な「一斉休校要請」には「子どもの学ぶ権利をいかに保障するか」という視点が全くみられない。「子どもの生命と健康を最優先している」という反論があるかもしれない。それはそれで大切なことだが、今日本全国で広がっている事態は「子どもの学ぶ権利」が奪われていることへの戸惑いと混乱である。
3月の学校は、一年間の締めくくりとして多様な学びの総括イベントを用意している。卒業式はもちろん、学習成果発表会・期末テスト・教員の評価活動である。安倍首相の一方的要請は、こうした活動を最大限に尊重するという視点を全く欠落させている。
「子どもの生命と安全を最優先する」名目で「子どもの学ぶ権利」を奪った形になっている。
これは戦争中の「国家利益のための人権制限」を彷彿とさせる。いいかえるとこの問題を、人権制限・改憲へのステップにしようとしてるのではないかと思われるのである。
考えてみると「一斉休校要請」は、首相による「緊急事態による人権制限」への布石なのではないか。「新型コロナウィルス狂騒」を利用し、まともに政治的対策を採らないばかりか、改憲への政治的道具にしようとしているのではないか。例えば、1月28日衆議院予算委員会での日本維新の会・馬場幹事長の質問「『このようなことがあったから緊急事態条項を新設しなければならないのだ』という議論を活発に行えば、国民の理解も深まるのではないか」とする誘導質問に対し、安倍総理は「今後想定される巨大地震や津波等に迅速に対処する観点から憲法に緊急事態をどう位置付けられるかは大いに議論すべきものだ」と答弁している。また、自民党の伊吹文明元衆院議長も1月30日に二階派の会合で「緊急事態に個人の権限をどう制限するか。憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない。」と語っている。
与党の政治家たちは、こうした新型コロナウィルスの国民的「狂騒」を煽って、自らの改憲へ煽動しようとする意図が透けてみえてくる。
だとするならば、そうした問題の本質のすり替えを許さない、冷静な眼とこの問題に対する真剣な政治の対応を求める国民的世論を高めなければならないと思うのである。