荒井明夫ブログ

政治家・官僚のモラル欠如を斬る

今年は特に政治家たち・官僚のモラル欠如が目立った。尤も「今に始まったことではない」のだが。

   まずは安倍首相。森友・加計学園問題での国政私物化発言はモラル欠如の最たるもの。次いで麻生副総理の「セクハラという罪は無い」発言。罪があろうがなかろうがセクハラという事実そのものを問うべきであったはずなのに「身内」を庇う姿勢にモラル欠如をみる。
    同様に人間観を疑った発言が杉田水脈衆院議員の発言。月刊誌にLGBT(性的少数者)のカップルが「子どもを作らない、つまり生産性がない」と攻撃し、行政支援への必要性を否定する見解を示す論考を寄稿した。人間を「生産性」という視点でしか捉えることのできないおぞましい人間観に、しかもそれが一国の政治家から発せられたことに驚きと怒りを感じるのは私だけではあるまい。
 さらに驚くべきは、政府と自民党執行部の杉田発言への対応だ。菅義偉官房長官は「国会議員の発言の一つひとつに、政府の立場でコメントできない」と不問に伏した。政府はこの暴言にコメントせずでよいのか。自民党はといえば、二階幹事長が「人それぞれ政治的立場はもとより、いろんな人生観もあ」ると庇っている。谷川とむ衆院議員も同性愛を「趣味みたい」と発言。暴言のオンパレードだ。まさに自由暴言党である。
 こうした人間観の奥底に、一昨年の相模原・やまゆり園の障がい者殺傷事件の被告と通じる人間観を見る。彼らが、政治家としてこの国の「まつりごと」を動かしている事実を考えると、人間性を否定する全体主義ファシズムがこの国を支配しているのではないかとさえ感じるのである。このままではまたしても支持率低下を招きかねないと心配した安倍首相は「人権が尊重され、多様性が尊重される社会を目指すのは当然」と語ったが、だったらせめて二人の議員に対し、総裁として厳重注意ぐらいしたらどうか。
 他方で、官僚の無責任さ・モラル欠如も相変わらずだった。森友問題での佐川財務局長(当時)の国権の最高機関である国会を舞台に堂々の「虚偽答弁」に官僚の底無しの腐敗を見た思いであるが、安倍総理夫人の責任追及の矛先を交わすために、当時の夫人付秘書官谷氏を海外に逃亡させる周到さにも呆れた。
 そして、我が文部科学省の腐敗・堕落。最早、文部堕落省というべきか。東京医科大学の裏口入学問題で科学技術・学術政策局長の佐野太被告が逮捕されたのに続き、国際統括官の川端和明容疑者も贈賄容疑でた逮捕された。しかも一連の報道を総合すると、同省の腐敗はこれに止まらないようである。文部科学省は、文部堕落省に陥った感がある。
今年から全国の小学校で「道徳」が教科化されたが、本当に「道徳」が必要なのはこの省の役人のではないか。同省改革の「必修」モデルとして全職員の「道徳」の受講を呼びかけたいものである。政治家・官僚のモラル欠如・人間観の問題は、この国の有権者の資質を結果的に問いて
いるように思えてならない。選ぶべき人間を選びたいものである。
母の死

去る10月5日、闘病中の母が亡くなりました。享年91歳でした。

前日までとても元気でした。闘病中とは言っても骨折でしたので死に至る病では無かったため本人はもちろん、私たちも、余りに急なことで受け止めきれていません。

母は、昭和2年に生まれ青春時代を戦時下に過ごし、敗戦直後は地下鉄の数少ない女性職員として働き、昭和24年に父と結婚しました。

その父とともに早朝から深夜まで働きながら私たち3人の子どもを育ててくれました。とても働き者で、朝はヤクルトの配達、夕方から魚屋でパートの店員を務めていました。そのため、私たち家族の夕食はいつも午後8時ころからとっていました。

晩年は、9人の孫と、6人の曾孫たちと会うことを楽しみに、温泉や芝居に出かけることを楽しんで、充実した生活を送っていました。自分のこと以上に他人の世話を、ついついやいてしまう母でしたので、子ども・孫・曾孫へも多くの愛情を注いでくれました。

私が教育史研究に関わることになったのも母の影響が初発です。子どもの頃、博物館や歴史的名所に連れて行ってくれたり、テレビの歴史物語をよくみせてくれました。

昭和と平成の時代を生き抜いた母に感謝しつつ、母の偉大なる人生から学びたいと思っています。

中原中也記念館訪問

少し前ですが、西日本集中豪雨直前の、7月上旬、山口県文書館で史料調査したおり、好きな詩人である中原中也記念館に出かけてきました。帰りは、豪雨のため3時間列車に閉じ込められました。

下の写真は中原中也記念館入り口にある生誕碑です。

 

下の写真は記念館入口です。

下の写真は井上馨公園にある中也の詩碑です。

青桐会山形県支部・宮城県支部総会に出席

7月21日・22日の両日、青桐会山形県支部・宮城県支部総会に出席してきました。青桐会というのは、大東文化大学の現役学生の親御さんの組織です。

他の大学のことは存じ上げませんが、本学は一学年3500名規模です。この規模の大学で、親の組織を全国47都道府県で組織し、大学関係者が年に一回の総会に出席するというのは全国的にも珍しい例ではないでしょうか。

学生諸君の親御さんと直接お会いして学生生活の様子・大学への要望等を聴いてきました。

「運動部をしているが、勉強との両立が大変で部活動を辞めた学生が結構いるようだ。しっかり支援できないか?」「食堂の混雑が酷く、購買部でパン等を購入しているようだが栄養が心配」などいろいろなお話を聞くことができました。

一昨年が福井県支部、昨年は岩手県支部(昨年は秋田県支部は豪雨で中止)でした。親御さんのお気持ちを直接聞くことでこちらもリフレッシュできます。
山形県支部総会の前日に山形県入りし、県立図書館で調査、翌日早朝は蔵王・鳥兜山山頂に出かけてきました。少々厳しい日程でしたが、それなりに楽しめました。

写真は鳥兜山山頂です。

 

下の写真は、手前が蔵王温泉街、奥が上ノ山市街です。

 

涼を求めて日光へ

8月上旬、孫のはなちゃん・まほちゃんたちと涼を求めて日光へ。楽しんできました。

写真は日光・丸沼です。

 

写真下は、日光白根山頂からみた尾瀬・燧ヶ岳です。

 

フリッツ・ホルム陸軍大将「戦争を絶滅させること受合の法案」

「我等」(昭和4年1月号)に長谷川如是閑が紹介した、デンマークのフリッツ・ホルム陸軍大将の「戦争を絶滅させること受合いの法案」を紹介する。

長谷川如是閑いわく「何処の国でもこの法律を採用してこれを励行したら、どうしたって戦争は起こらないことを、牡丹餅判印で保証すると大将は力んでいる(後略)」

「戦争行為の開始後または宣戦布告の効力を生じたる後、十時間以内に、次の処置をとるべきこと。即ち左の各項に該当する者を最下級の兵卒として召集し、できるだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし。

1、国家の元首。ただし君主たると大統領たるとを問わず。もっとも男子たること。2、国家の元首の男性親族にして十六歳に達せる者。3、総理大臣、及び各国務大臣、ならびに次官。4、国民によって選出されたる立法府の男性の代議士。ただし戦争に反対の投票をなしたる者はこれを除く。5、キリスト教または他の寺院の僧正、管長、その他高僧にして公然戦争に反対せざりし者。

上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として召集さるべきものにして、本人の年齢、健康状態を斟酌すべからず。ただし健康状態については召集後軍医官の検査を受けしむべし。上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は戦争継続中、看護婦または使役婦として召集し、もっとも砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし」

長谷川如是閑は「これは確かに名案だが、各国をしてこの法律案を採用せしめたるためには、も一つホルム大将に、『戦争を絶滅せること受合いの法律を採用させること受合いの法律案』を起草して貰わねばならぬ」と結んでいる。

抱腹絶倒のブラックパロディともいうべきか。この、デンマーク国のフリッツ・ホルム大将、実は長谷川如是閑の創作人物らしい。

安倍政権による改憲の現段階を危惧する

「戦後レジームからの脱却」を公言し、閣議決定により集団的自衛権の行使を認めるなど議会軽視(というよりは無視)も甚だしい安倍政権。「戦後レジームからの脱却」とは「日本国憲法体制の否定」であることが明らかになりつつある今日、「日本国憲法」体制の「空洞化」はどの程度進んだか、歴史的事実に照らして検証してみたい。「日本国憲法体制の空洞化」という既成事実の積み上げにより「空洞化」の今日をみる。

「戦争のできる・普通の国」づくりが安倍政権の目標であることは間違いない。だから、憲法九条が邪魔なのだ。戦争国家体制に向けてまず必要なことは、第一に、軍事情報の漏洩阻止である。戦時下の日本には、「軍機保護法」(1937年施行)「国防保安法」(1941年)があった。現在これに該当するものが「特定秘密保護法」(2014年施行)である。第二に、資源・労力の動員を可能とすること。これについては国家総動員法が該当するが、現在日本においてはこれに該当するものは未だ無い。但し、その一部は、自衛隊の「防衛出動時における物資の収用等に係る規定の整備」について「自衛隊法及び防衛庁の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律」(2003年施行)で可能となっている。第三に、治安維持法である。これは、悪名高い「共謀罪」で対応できるようになった。第四に、メディアの統制による「報道の自由」についても「共謀罪」で対応可能である。

 あらためて「共謀罪」が現代版治安維持法であることを深く把握する必要がある。
 こうした状況下にあって、あらためて改憲発議が時間の問題となるであろうことは想像に難く無い。改憲発議を許してはならないと強くおもうのである。
SNSと「いいね」を考える

SNSの登場は、世界・社会の様相を一変させた。巨大な動きを創り出す程に力をもつSNS。だが、それを操作する人間には大きな「落とし穴」があるように思えてならない。その「落とし穴」を考える。

2004年に設立された「フェイスブック」、2007年から始まった「ツイッター」(エヴァン・ウィリアムズとクリストファー・アイザック・ストーンが2007年4月に設立した「ツイッター社」を起点と考えて)。同じ頃、アップル社がiPhoneを発表する。

これらの世界的普及が社会を大きく変えた代表例として、チュニジアの露天商の青年が独裁政権に抗議して焼身自殺したことを契機に民主化を求める世論が一気に広がり、独裁政権を打倒した「ジャスミン革命」がある。この運動は国境を超えた。「アラブの春」をもたらしたのである。

限られた字数の中で、情報は瞬時に拡散し、それを見た他人がまた「いいね」と反応し、情報が拡散していく。劇場型の政治がそこに介入した時、「情報」が単純化して伝達されることをわれわれはみてきた。例えば「郵政民営化イエスかノーか」「前進にイエスかノーか」等々。

危惧するのは、われわれの判断力がそこに追いついているかどうかだ。じっくり考え、多様な選択肢がありえるにも関わらず「イエスかノーか」として単純化されることで、われわれの思考回路も単純化することをなによりも恐れるのだ。

じっくり考えて、物事の背後にある真実により謙虚になって眼を向けたいと考える日々である。

高畑勲さんの御逝去を悼む

日本のアニメ映画監督の巨匠、高畑勲さんが亡くなられました。ささやかな思い出を振り返りたいと思います。

 

 

いまから十数年前、埼玉県にある保育園の運動会で御一緒したのが最初です。その保育園は、保育実践で有名で、私の子どもたちもお世話になりました。私が学生を引率して見学に訪問した際、偶然高畑さんもこられていました。

気さくに話しかけられ直ぐに意気投合し、日本の子どものこと、文化のこと、等々を熱く語り合いました。最後は、運動会参加者全員での「パン食い競争」で御一緒し、走ったことが忘れられません。

そして、2013年に、大東文化大学の教育学科に保育士課程が開設した時、その開設記念イベントの記念講演を高畑さんに依頼しました。一度はお引き受けいただいたのですが、「『かぐや姫の物語』の制作が遅れ、監督が講演に出かけているとスタッフの士気に関わるから」と断られてしまいました。残念でした。

ところで、御存じのように高畑さんの代表作に、「火垂るの墓」があります。巨匠の名作の原点は、御自身の戦争体験にありました。御自身の戦争体験を振り返っての、熱い平和へのメッセージが残されています。

 

 

その最後の一節

「アジア太平洋戦争の開戦や敗戦へのいきさつから、延々たる対米従属、そして、悲惨な原発災害に至るまで、責任を決して明らかにせず、追及せず、ただ、ずるずると押し流されていく、私たちのずるずる体質と空気をすぐ読む驚くべき同調気質とは残念ながらいまも七〇余年前もちっとも変わっていないのではないでしょうか。私は自分も含めこの体質が本当に怖いのです。だから憲法九条は最後の歯止めとして絶対に変えてはならないと思います。」

高畑さんのメッセージを重く受け止めたいと思います。

『研究成果報告書』を刊行しました。

本HPの、「研究活動」欄でも記しましたが、『研究成果報告書』を刊行しました。2014(平成26)年度から2017(平成29)年度まで受けてきた日本学術振興会・科学研究費・基盤研究B「近代学校の組織化に関する地域史研究─就学行政の『勧奨』と『督』の構造化─」の研究成果です。

本共同研究は、私を研究代表者とする合計9名の研究者の共同研究です。1880年代前半の、各道府県が発した「就学督責規則」を収集し、整理・分析したものです。

なによりも成果なのは、全47道府県の就学督責規則を収集・整理した点にあります(福島県・沖縄県は未発見)。さらにいえば、「督責」の方法・地域における就学政策の展開・近世社会との連続性・罰則規程や「強迫」との連続性などを解明したことが上げられます。

今後の課題は、前の時代である1870年代との連続性と非連続性、あとの時代である1880年代後半~1890年代の各道府県が発した「就学規則」の収集・整理・分析です。これらの作業によって、義務教育制度が成立していく過程での地域からの公教育創造の動きがみえてくるものと思っています。