荒井明夫ブログ

ホームページのリニューアルにあたっての御挨拶

みなさま。このホームページを約10年ぶりにリニューアルすることにしました。リニューアルする最大の理由は、2020年度から7年ぶりに「ゼミ」を担当することになったからです。新しいゼミの仲間は現在募集中です。新しいゼミの仲間とともに、「心機一転」学んでいきたいと考えています。そのため、ホームページをリニューアルしました。このホームページにもやがて「新しい荒井ゼミ」メンバーによる投稿が始まると思います。これを機会にどうぞよろしくお願いします。

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山口県萩市・萩博物館・明倫学舎の資料調査と見学

先日、山口県萩市にある萩博物館と旧藩校明倫学舎を訪問し、資料調査を実施してきました。合間をぬって明治維新縁の地である吉田松陰生誕地・高杉晋作生誕の家・彼の立像・松下村塾を見学してきました。写真上から「吉田松陰立像」「吉田松陰の墓」「明倫学舎」「高杉晋作生誕地」「高杉晋作立像」「木戸孝允生誕地」「松下村塾」です。

全国地方教育史学会大会を開催

本年5月25日・26日の両日、大東文化大学板橋キャンパ(初日)および大東文化会館において、第42回全国地方教育史学会大会が開催されました。

初日は板橋キャンパスで本学所蔵の貴重な史料を見学し、懇親会で盛り上がりました。

大会二日目は大東文化会館に会場を移し、研究発表とシンポジウム・総会が行なわれました。50名が参加し盛況の内に終えることができました。

研究の原点・会津若松と喜多方を久しぶりに訪問

私の研究の原点となった福島県会津若松と喜多方を久しぶりに訪問しました。

 

上の写真は鶴ヶ城です。

喜多方にある「自由民権発祥之地」の碑文です。

私の研究は、激しく闘っていた喜多方の自由民権運動に参加した農民たちと会津若松の士族たちが協力して会津中学校を設立していった運動を分析する研究でした。士族や農民の学校への要求、地域と学校との関係を解明し、その後全国的に中学校設立の研究へと発展させて行きました。その出発となった地域です。

弘前城公園の桜

連休直前に調査で弘前市を訪問しました。調査の合間をみて弘前城公園の桜をみに出かけ、桜に圧倒されました。

 

2019年4月2日大東文化大学教育学科新入生対面式での学科主任挨拶

2019年度新入生対面式での学科主任挨拶です。

 

新入生のみなさん。大東文化大学教育学科への御入学、おめでとうございます。教育学科主任の荒井です。教育学科教員を代表して歓迎の御挨拶を申し上げます。
新入生のみなさんは、大きな希望と少しの不安の中で、大学の門を通られたと思います。未来のみなさんの生活に続く、大東文化大学という新しい「学びの世界」に入られたことで、先ずみなさんの気持ちを一度リセットして、新たな気持ちで第一歩を踏み出してほしいと思います。
今、私は、「みなさんの気持ちを一度リセットして」と言いました。そこには二つの意味があります。一つは、大学は、みなさんが社会に出る前の最後の学校教育の場です。新しい、そして学校教育の最終段階に入ったという意味で、まずはみなさんの気持ちをリセットしてください。二つ目の意味ですが、今まで、みなさんは、上の学校に行くために、言い換えると入学試験に合格するために「暗記する」ということを必死で取り組んできたのではないでしょうか。その「学びのスタイル」をリセットしてほしいのです。どういうことかというと、「大学での学び」は必ずしも「ものを覚える」ことだけではないということを体験してほしいのです。
4年前に亡くなられた哲学者の鶴見俊輔さんが、次のように指摘されています。
「大学でまなぶ知識は勿論必要だ。しかし覚えただけでは役に立たない。それを学びほぐしたものが血となり肉となる」
知識を覚えることは重要です。しかし量的に知識を蓄えても、その蓄えたはずの知識が活用できなければ意味が無いことになります。
では、知識を活用する、鶴見さんのいう「学びをほぐす」ために何が必要なのでしょうか。
それは豊かな経験だと思います。
みなさんは吉野源三郎さんが書いた『君たちはどう生きるか』という本を御存じでしょうか。日本が戦争に突入する1937年に書かれた優れた哲学書です。哲学書というとなにか難しい印象をもちますが、とても分かりやすい社会科学入門書です。戦争の時代、真実が語られることがなくなりつつある時代に「未だ子ども向けならば伝えられる」と判断した吉野さんが書いた本です。15歳の少年本田潤一君(彼のことをコペルニクスにちなんでコペル君と文中では呼んでいます)。そのコペル君と大学の助手である叔父さんのやりとりを通じて、哲学や経済学・社会学の分かりやすい解説になっている本です。この本はコミック版が一大ベストセラーになりました。しかし、コミック版は省略されている箇所が多いため、是非岩波文庫版を読んでみて下さい。
この本の中で、経験することの重要性をおじさんが語る場面があります。おじさんはコペル君に「水が酸素と水素からできていることは教えることができるが冷たい水の味がどんなものかということになると、もう、君自身が水を飲んでみない限り、どうしたって君にわからせることはできない」と述べています。ここに重要なことが二つ出てきます。第一は、経験することの大切さです。第二は、その経験は教えることができないということです。
教育学を学ぶことを希望しているみなさんは、これから教育学の基礎知識を学ぶと思いますが、同時に、多様な経験を重ね、豊かな人間に自分を鍛えてほしいと思います。教育学は人間を対象にした学問です。ですから、先ず、「人間に対して、広く深く関心をもってほしいと思います。そうして人間に対する関心を深めながら、様々なことを体験し、それを通じて、人間に対する深い愛情を自分の中で育てていってほしいと思います。
そのためには、「大学という学びの空間」を広く活用して、鶴見俊輔さんのいう「学びをほぐして」いって下さい。講義やゼミをはじめとする「学び」はもちろん、大学や学科の諸行事をはじめ、サークル活動・部活動やアルバイト・ボランティア活動までも積極的に取り組んで、様々な人と出会い、またろいろいな関係の中で、時には悩み、傷つき、それらを克服して、みずからの学びをほぐし、人間への深い見方を身につけてほしいと思います。
大学で学ぶ学問を深めつつ、人間としての豊かな成長を意識して追求してほしい、それが学びをほぐすこと、ひいては教育学を学ぶ最初の第一歩なのだと申し上げて歓迎の言葉とします。
2018年度教育学科卒業詔書授与式での学科主任挨拶

2019年3月20日、大東文化大学・教育学科での卒業詔書授与式で主任として挨拶しました。

卒業生のみなさん。御卒業おめでとうございます。みなさんの卒業をお祝いしてひとこと御挨拶します。

 大東文化大学の教育学科での学びを通じて、みなさんは、自分を大きく成長させることができたでしょうか。卒業のお祝いを機に、この点を深く掘り下げてほしいと思います。なぜならば、みなさんがこれから出て行く社会は非常に厳しい社会です。その厳しさに負けないためには、自分の長所と弱点をしっかりみつめることが大切だと思うからです。
 今日本の社会は厳しい社会だといいました。その意味はこうです。みなさんはこの大学に2015年に入学し、今年卒業されます。この間に何があったか。みなさんが大学に入学された2015年には集団的自衛権の行使を可能とし、海外で他国軍を後方支援することができる安保法制が成立しました。日本は「戦争しない国」から「戦争ができる国」にこの国の基本的なかたちを変えました。また、昨年は「テロ等の対策」という名目で共謀罪が成立しました。
 戦後の日本社会の根幹ともいうべき「平和・人権」が根底から覆されようとしています。
 こうした一連の流れをみる時、近代日本の歴史の流れである治安維持法からアジア太平洋戦争へと流れていく、その道筋を重ねてみることができます。
 教育の歴史を紐解くと、戦争への道を辿る際に、教育が常に先陣を務めてきたことも浮かび上がってきます。翻って、今日の教育を観る時、異なる存在である他者を受け止めない「いじめ」があり、虐待・体罰という「教育の名の下での暴力」が、残念ながら横行しています。
 卒業されていく教育学科の卒業生のみなさん。みなさんがこれから活躍される社会はこうした社会なのです。決して平和とはいえない現代社会においてどのように生きていくか、そのことが厳しく問われることと思います。「どのように生きるか」に対してお一人お一人の回答があると思います。こうした問いに対し、教職に付く人もそうでない人も大学での学びを続ける中で回答を示してほしいと思います。そして教育を暴力ではなく、希望ある営みとして取り組んでほしいと思います。「どう生きるのか」という厳しい問いかけに対し、みなさん一人一人が厳しく問いかけ、学び続け、あなたたちらしい回答を行動で示してほしいと願っています。
 これからの御健闘をお祈りしてお別れの言葉とします。
2019年・年頭によせて

新年明けましておめでとうございます。今年もこのブログを読みに来て下さった方にとってよい年となることをお祈りしています。

昨年は、一昨年からの主任業務を継続し忙しい年でした。今年は2020年3月までの任期の、事実上の最終年度になります。もう一息、頑張りたいと思います。

昨年プライベートでは10月に母を失いました。昨年の正月に元気で我が家に遊びに来たことを思うと、なんとも胸が痛みます。今年はまずは私も含めて家族一同の健康と幸福を願わざるをえませんし、そのために努力したいと考えます。

ところで、今年は日本国憲法が正念場を迎えることと思います。安倍亡国政権が躍起になっている憲法「改正」問題。今年は改憲勢力が発議してくるように思えます。それを阻止しなければなりません。そのためにも、学生諸君の歴史認識にしっかり向かい合う努力をしたいと思います。注意すべきことは、単なる情報としての史実の提供ではなく、学生諸君が自分なりに取捨選択して知識を活用できるすることだと考えています。教育史は特にそうした教育史認識が求められると思います。
次に研究面ですが、昨年はしっかりした論文を生産することのでき無かった年でした。今年は、しっかりした論文を2~3本書き上げたいと決意しています。
(1)長年の課題である嘗てのゼミの学生諸君との共著を刊行することです。
(2)山口県の中等教育史関係論文を2~3本まとめたいと思っています。
ともあれ、硬直してしまっては元も子もありませんので、毎日を大切にして充実した日々を過ごすように心がけたいと考えています。そのためには好きな文学書や音楽との付き合いを大切にして、このブログで様々な発信をできたらよいなと思っています。今年もどうぞよろしくお願いします。
政治家・官僚のモラル欠如を斬る

今年は特に政治家たち・官僚のモラル欠如が目立った。尤も「今に始まったことではない」のだが。

   まずは安倍首相。森友・加計学園問題での国政私物化発言はモラル欠如の最たるもの。次いで麻生副総理の「セクハラという罪は無い」発言。罪があろうがなかろうがセクハラという事実そのものを問うべきであったはずなのに「身内」を庇う姿勢にモラル欠如をみる。
    同様に人間観を疑った発言が杉田水脈衆院議員の発言。月刊誌にLGBT(性的少数者)のカップルが「子どもを作らない、つまり生産性がない」と攻撃し、行政支援への必要性を否定する見解を示す論考を寄稿した。人間を「生産性」という視点でしか捉えることのできないおぞましい人間観に、しかもそれが一国の政治家から発せられたことに驚きと怒りを感じるのは私だけではあるまい。
 さらに驚くべきは、政府と自民党執行部の杉田発言への対応だ。菅義偉官房長官は「国会議員の発言の一つひとつに、政府の立場でコメントできない」と不問に伏した。政府はこの暴言にコメントせずでよいのか。自民党はといえば、二階幹事長が「人それぞれ政治的立場はもとより、いろんな人生観もあ」ると庇っている。谷川とむ衆院議員も同性愛を「趣味みたい」と発言。暴言のオンパレードだ。まさに自由暴言党である。
 こうした人間観の奥底に、一昨年の相模原・やまゆり園の障がい者殺傷事件の被告と通じる人間観を見る。彼らが、政治家としてこの国の「まつりごと」を動かしている事実を考えると、人間性を否定する全体主義ファシズムがこの国を支配しているのではないかとさえ感じるのである。このままではまたしても支持率低下を招きかねないと心配した安倍首相は「人権が尊重され、多様性が尊重される社会を目指すのは当然」と語ったが、だったらせめて二人の議員に対し、総裁として厳重注意ぐらいしたらどうか。
 他方で、官僚の無責任さ・モラル欠如も相変わらずだった。森友問題での佐川財務局長(当時)の国権の最高機関である国会を舞台に堂々の「虚偽答弁」に官僚の底無しの腐敗を見た思いであるが、安倍総理夫人の責任追及の矛先を交わすために、当時の夫人付秘書官谷氏を海外に逃亡させる周到さにも呆れた。
 そして、我が文部科学省の腐敗・堕落。最早、文部堕落省というべきか。東京医科大学の裏口入学問題で科学技術・学術政策局長の佐野太被告が逮捕されたのに続き、国際統括官の川端和明容疑者も贈賄容疑でた逮捕された。しかも一連の報道を総合すると、同省の腐敗はこれに止まらないようである。文部科学省は、文部堕落省に陥った感がある。
今年から全国の小学校で「道徳」が教科化されたが、本当に「道徳」が必要なのはこの省の役人のではないか。同省改革の「必修」モデルとして全職員の「道徳」の受講を呼びかけたいものである。政治家・官僚のモラル欠如・人間観の問題は、この国の有権者の資質を結果的に問いて
いるように思えてならない。選ぶべき人間を選びたいものである。
母の死

去る10月5日、闘病中の母が亡くなりました。享年91歳でした。

前日までとても元気でした。闘病中とは言っても骨折でしたので死に至る病では無かったため本人はもちろん、私たちも、余りに急なことで受け止めきれていません。

母は、昭和2年に生まれ青春時代を戦時下に過ごし、敗戦直後は地下鉄の数少ない女性職員として働き、昭和24年に父と結婚しました。

その父とともに早朝から深夜まで働きながら私たち3人の子どもを育ててくれました。とても働き者で、朝はヤクルトの配達、夕方から魚屋でパートの店員を務めていました。そのため、私たち家族の夕食はいつも午後8時ころからとっていました。

晩年は、9人の孫と、6人の曾孫たちと会うことを楽しみに、温泉や芝居に出かけることを楽しんで、充実した生活を送っていました。自分のこと以上に他人の世話を、ついついやいてしまう母でしたので、子ども・孫・曾孫へも多くの愛情を注いでくれました。

私が教育史研究に関わることになったのも母の影響が初発です。子どもの頃、博物館や歴史的名所に連れて行ってくれたり、テレビの歴史物語をよくみせてくれました。

昭和と平成の時代を生き抜いた母に感謝しつつ、母の偉大なる人生から学びたいと思っています。